浮世絵学01/落款(ちかのぶ)周延 2024-10-29周延/総目録_2573項目 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/21651
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1982-04-29現在(2023-10-29更新)

浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人)

*学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 

日本最古の浮世絵専門店

1803葵衛(齋藤秋圃)/葵氏艶譜


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G浮世絵学00 御案内 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)  Guide

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R浮世絵学00/複製・復刻 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/88211

 

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V浮世絵学 ミニ動画     Mini-film, about 5 minutes 

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*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit-comments.php

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,397項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

2022 SAKAI, gankow   酒井雁高

 

2018 SAKAI gankow

 

2020 SAKAI kunio

 

 
*ファックス、使えません。

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今回、ネットの画像を含めて、周延(ちかのぶ)の目録を作成した。

◯周延 伝記集成

2024-09-12周延(ちかのぶ)/伝記集成_5項目

(雁註)千代田城大奥、活字で情報が記されているが、画像は少ない。従って周延は、他の手段で有職故実の実態を入手した

まだ本格的な伝記が発刊されていない。

周延は下級武士であったから、江戸の大奥などは知らなかったはずである。

恐らく周延ほど師に恵まれた浮世絵師はいなかったと書いた。しかし、國芳門下、三代豊國門下時の浮世絵は僅かである。

周延 1838-1912(75) *ちかのぶ 揚洲~ 

・國芳 1797-1861(65)

1852(嘉永5)周延 15の時、國芳に師事

10年間、國芳門下で浮世絵の基本、特に人物の骨格、動きを身に付けたはずであるが、二代芳鶴・落款の作品は二点、大3、役者がある。

1861(文久1)周延、24の時、國芳が亡くなる。この年月までに描いた浮世絵が極く少数である。

・三代豊國 1786-1864(79) 

1861(文久1)以後、4年間 1861-1864 三代豊國に師事 美人、源氏絵、風俗を修得したはずである。


2024-09-18周延(ちかのぶ)/総目録_2,577項目

2024-09-18周延(ちかのぶ)/総目録_2,577項目

一覧表は、numbers に自動的に変換されて、列の幅、位置を簡単に操作できる。

芳鶴(二代)落款である。実際に三代豊國に師事し、画号を受けたか、かなり疑問である。
 
2023楊州周延/明治を描き尽した浮世絵師、町田市国際版画美術館
・村瀬可奈(東京国立博物館研究員)らが集成した1999項目(ただし、役者絵を除いた)。
・図録は、知人から借りて、pdfで読み込んだ。
・この総目録(真水康樹博士から御恵贈)をデジタルで撮影し、アップロードした。
 
2023周延/明治を描き尽した浮世絵師、町田市国際版画美術館 
末尾に総目録(1999項目)が掲載されている。
真水康樹さんは、刊年、年月日順に整理している
 
 
末尾の周延/総目録 真水康樹博士からコピーを恵贈された。
2024-10現在、この2000項目を少しづつ入力し、周延/総目録の増補を行った。
 
また、2024西南戦争の図録(環日本海研究年報29)、目録も同封されていた。
厚く御礼申し上げます。
この目録だけならば、簡単にアップロードでき、各位が参照することが出来る。
 
活字の総目録では増補訂正が困難であるが、アップロードできるインターネットでは簡単に出来る。

外国の研究者
周延(ちかのぶ)/総目録 コンピュータで目録を整理し、図版を添付している。
名数の確定など、疑問、不備があるが、医師でデータベースに慣れていることが解る
漢字の読みなど、誤読もある。三枚続(綴)など、さんまい「つづき」「つづり」ではない。

http://www.chikanobu.com/home5a.asp

芳鶴(二代)は國芳門下時である。三代豊國門下の落款、および作品は確かめられない

1864(元治1)周延、27の時、三代豊國が亡くなる。直ぐ、國周に師事する。

これは周延という画号を持っている以上、師系があったと考えて良い。しかし、画業より、武芸を優先していた。

・國周 1835-1900(66)

37年間 1864-1900 國周に師事 役者画、芝居絵、美人画を描いた。

1864(元治1)幕府は朝廷の命を受け? 長州征討軍を派遣 *巻物があるが、描かれたのは、かなり後。*周延が描いたという事実は不明

1865(慶應2)第二次長州征討軍に参加 長州征討行軍図が描かれている?

1867(慶應3.05.06)國周が日本橋音羽町の新宅開きに、暁齋、周延は参加してている。酔った暁齋が師・國周の顔に墨を塗りたくり、怒った周延が刀を抜いて、切り掛かるぞと飛び掛かった。暁齋は屋根を破って?逃げ、中橋の紅葉川の跡に落ちた。暁齋は周麿(ちかまろ)という画号をもっている。恐らく國周の弟子なのであろう。

・暁齋 1831-1889(59) *きょうさい。周麿(ちかまろ)と号す。國周より年上であるが、私淑して門弟となったか。すると、周延の兄弟子となり、新築祝いに招かれていた。

・國周 1835-1900(66) *明治期最大の役者絵師

・周延 1838-1912(75) *周延は下級武士であったが、彰義隊に参加して、武張ったところがあった。*墨合戦を知らぬはずはないが… 師匠の顔が墨で真っ黒になり、怒りが収まらなかった。それで、周延は暁齋に切り掛かった。まだ廃刀令が出ておらず、下級武士といえ、大小を帯刀していた。

國周門下であるから、当然、大半が役者画である。しかし、周延落款で、1864-1875(明治8)の作品は未見。

1868(慶應4.02.12)旧一ツ橋家臣17名が江戸雑司が谷の会合で、慶喜の復権と薩摩討伐を協議した。賛同者60余名。のち、1500余名となる

1868(慶應4.05.01)(勤王の新政府は)田安慶頼の江戸市中警衛の任を解いて、彰義隊の合法性を剥奪。

1868(慶應4.05.15)(新政府の)大村益次郎指揮は、上野を攻撃。彰義隊は壊滅した。榎本武揚など、函館まで転出したが、最後、降伏した。

1868(慶應4.09.08)明治と改元

*周延は下級武士であったが、彰義隊に参加し、徳川武士としての気質を強く持っていた。町人とは違う気質である。

また明治期になって、神となった天皇に近づくことは出来なかったはずであるが、

明治政府からの依頼で宣伝、ニュースとして多くの天皇、皇后などを描いている。

1867(慶應3.01)國周画/肩入人気くらべ 大3 周延(補筆)/人物 早い作品か *未見

1869(明治2)大3 今様けんし 宮しま舩中遊 落款:國周筆 □周延画 *周延が補筆? □が読めない

1875(明治8)大3 東京両国橋真景 落款:周延 初期作品 周延、38歳、いよいよ、周延が活躍する

1877(明治10.08)東京名所之内・内国勧業博覧会」 大3 *第一回 1873ウイーン万国博覧会を受けて開催

1877(明治10.01.30)西南の役で、浮世絵が再び脚光を浴びた。

*この前後、新年用おもちゃ絵、雙六を描いている。それにしても、國周に入門してから、かなりの年月であるが、作品は殆どない

これは、どのように理解すれば、良いのだろうか。

1870-1880s(明治10年代) 皇后宮還幸宮御渡海図 大3 *未確認

1870-1880s(明治10年代)皇子御降誕之圖 大3 *未確認

1870-1880s(明治10年代)今様振図の遊 大3 *未確認

1879(明治12) 鮑取御遊覧之圖 *三代豊國好みの題材

1882(明治15)、天皇を描くことが禁止される。

1884(明治17)名誉色咲分 *妓楼の遊女

1884(明治17)雪月花(小林鉄次郎版) *彫り、摺りの精緻な美人画で、且つ六十余州を描いている。

1887(明治19)東錦晝夜競 *駒絵で昼夜を仕立てたが、解り難い。

1887(明治20) 鹿鳴館で舞踏会が開かれ、イギリスのヴィクトリア朝の洋装婦人が描かれている。

*石版が流行し、木版の浮世絵は下火になるが…

1889(明治22)憲法發布式之圖 *形だけは近代国家の枠組みであるが、その後、大逆事件など、天皇国家で、国民は主権を持っていない

1890(明治23)東風俗年中行事 *これは美人風俗として、周延の傑作である

1890-1891(明治23-24)幻燈冩眞競 *これも、異色の作品

1894-1895(明治27-28)日清戦争 またまた浮世絵の発行部数が増えた。

1895-1897(明治28-30)千代田之御表、千代田之大奥の風俗 *周延の尤も得意とする作品で、他の絵師の追随を許さない、

1895-1897(明治28-30)時代かがみ *全50、目録2、附録1 美人の髪型、風俗に特徴を出している。また、駒絵にも時代の特徴を描いた。

*時代かがみ(目録あり)など、何処かに材料があったに違いない。

1894(明治27)徳川時代貴婦人

1896(明治29)千代田之大奥(目録あり)

1897(明治30)千代田之御表(目録あり)

1897-1898(明治30-31)真美人 *真、これはリアルな美人、全36 番号があるが、画像では見難い。

1900(明治33) 周延、63の時、國周が亡くなる

1904-1905(明治37-38)日露戦争 浮世絵が脚光を浴びた最後といえる。

周延は、明治末期まで活躍した。

◯周延 総目録

*浮世絵学に沿って、版型形態+げだい+ハンモト+ないだい+出典 に整理した

2024-10-28周延(ちかのぶ)/総目録_4,578項目  

2023-05-07周延(ちかのぶ)/総目録_2573項目

*刊年を入力したものだけを編年順とした。

http://www.chikanobu.com/

2012.06新藤茂/没後百年 楊洲周延 明治美人風俗、平木浮世絵美術館 UKIYO-e TOKYO

*新藤茂さんの収集品を中心に、原画から詳細なデータで解説。初期の作品、芝居を含めて、明治初期の新名所の作品が掲載されている。全161点。

新藤さんは、数学者であるが、江戸歌舞伎に詳しく、E-mailで五渡亭を使っている。國貞の収集でも著名である。

*伝記の再検討を行い、画姓と本姓の区別、姓名と画号の混用を指摘している。

明治期、本姓名を記すことを義務づけられている。つまり画姓+画号、本姓名、住所を刻記している。

因みに清親の名は本名で、そのまま画号にも使っている

*明治期になって化学合成染料の赤が使われた云々。これは洋紅(ようこう)と称しているが、カルミン(オランダ語)、サボテンに寄生するコチニール(臙脂虫)で、合成染料ではない。学者は、これまでアニリン染料と称していたが、アニリンでもない。

*役者、芝居は、無外題作品が多く、浮世絵学で整理し難い。

ネットの図版などで入力した。このため詳細な刊年、板元は未入力のものが多い。

恐らく、外題+板元+内題で、一つと数え(2500点ほど)、芝居、役者を増補(1500点ほど)すると、3500枚-4,000枚ほどになるだろう。

特に無外題の芝居、役者などを含めると、國周同様、かなり厄介である。

明治以後の芝居は、詳細な年月日があり、続々歌舞伎年代記、明治演劇史などを中心に編年別に整理する必要がある。

これらの全てのデータをテキストで入力すれば、後々、便利である。

1922(大正11)田村成義(1851-1920)/続々歌舞伎年代記(乾)、市村座  1859-1903(安政6-明治36)

*不遇な六世尾上菊五郎と初世中村吉右衛門の二人を市村座に出演させ、菊吉の市村座時代という黄金期を造った。

1933(昭和8)伊原敏郎/明治演劇史

1963(昭和38)伊原敏郎/歌舞伎年表 全8、岩波書店

*江戸期、明和-慶應までテキストで入力した。明治以後は未だ入力していない。

1970(昭和45)田村成義/続々歌舞伎年代記(乾) 狂言名索引、国立劇場 *ガリバン、縦書き *外題とページ表記

*年月、地名座名が無いので扱い難い

1979(昭和54)利倉幸一/続々歌舞伎年代記(坤) 1904-1912(明治37-明治45) 

1984(昭和59)利倉幸一/続々歌舞伎年代記(坤) 演目名索引、国立劇場 *活字、横書き 

*外題 ページ M(明治年月、地名座名)

周延の本格的な総図録も、そろそろ発刊されて良い頃である。

何か御気付きの点があれば、御教示ください。
酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator [浮世絵学**]
浮世絵・酒井好古堂  http://www.ukiyo-e.co.jp
[浮世絵学]文化藝術懇話会  浮世絵鑑定家
100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14
電話03-3591-4678 



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