++浮世絵学1818瀬川富三郎(1780s-1833c)/江戸方角分(えどほうがくわけ)_ 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/11064
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1982-04-29現在(2024-01-10更新)

浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人)

*学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 

日本最古の浮世絵専門店

1803葵衛(齋藤秋圃)/葵氏艶譜


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G浮世絵学00 御案内 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)  Guide

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R浮世絵学00/複製・復刻 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/88211

 

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V浮世絵学 ミニ動画     Mini-film, about 5 minutes 

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*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit-comments.php

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,353項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

2022 SAKAI, gankow   酒井雁高

 

2018 SAKAI gankow

 

2020 SAKAI kunio

 

 
*ファックス、使えません。
 
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◯1818瀬川富三郎(1780s-1833c)/江戸方角分 930項目

1818瀬川富三郎/江戸方角分_930項目

1818瀬川富三郎/江戸方角分_らっかん+落款+出典_930項目

1818瀬川富三郎(1780s-1833c)/江戸方角分_らっかん+落款+出典_930項目

蜀山人(1749-1823)が「竹本氏写来」と記録している。

*末尾に「文政元(1818)年七月五日 竹本氏写来 七十翁蜀山人*」*蜀山人の自筆

この時点で、瀬川冨三郎の自筆本が転写されている。

転写されると、必ず誤認、誤記が生ずる。さらに、

達摩屋五一(1817-1868)旧蔵本(江戸四日市古今珍書儈達摩屋五一)となった。さらに、

林  若樹(1875-1938)さんが入手した「諸家人名・江戸方角分」(ほうがくわけ)。

*1910s大正期、好古堂版「浮世絵」で屢々、引用しているから、明治期に入手したものであろう。

確認したかったが、転写本の原本が現在でも二カ所しか確認できない。

江戸期、転写、再転写など、誤認、誤記について筆耕が転写した折、判断に困ったに違いない。

瀬川冨三郎は、上方の役者のため、江戸のことは詳しくなく、松平を平松と誤記している。

当初、一枚摺とする意図があったようだが、懐中とも記されて、意味不明。

転写原本の朱書きの訂正は、蜀山人、達摩屋、若樹さんの何れであろうか。

竹本氏の転写本は、文字が小さく、微妙な文字が判読できない。

特に狂名について、多くを採録してある。

瀬川冨三郎は、浮世絵を浮世画、國直を国直と書いていて、妙である。

◯◯公、◯◯侯などとあり、直接確認できないので、間接に聴いて、書き記した。

重政の俳名、花藍(からん)も「花青」となっている。これでは全く意味をなさない。

藍を青と聴き間違えて、青と誤記した。このため、全く本来の俳名の意味が不明になっている。

春章の俳名、酉爾(ゆうじ)は「春章 古人 田所町 勇次郎」とあり、本名をもじった。

2017最近、春章の卒年が六十八でなく、五十歳であることも判明した。

しかし1818文政末年までの浮世絵師の住居、姓名については、かなり詳しく調査し、記録している。

林若樹さんが、屢々、引用していたことも納得が行く。

◯影印の画像は、左右見開き、1コマとしてある。最大左右で、18項目の人名が簡略に記されている。

出典番号は、原本のコマの順序である。

◯中野三敏先生が、林若樹氏所蔵本を近世風俗研究会(花咲一男主宰、200部、1977)で活字化した。

写楽について述べているが、三敏先生の思い込みが強く、事実だけを取り上げるべきであろう。

1 画号欄(業分契、字号):古人、浮世絵、寫*樂齋 *原画は点がない冩である。

2 方角欄(宿所):八丁堀。地蔵橋

3 姓名欄(俗姓):空欄

分かっている事実は、以上の3項目だけである。

画号、および姓名欄が空欄になっていること。

寫樂の齋号は「東洲齋」で、「寫楽齋」ではない。

齋号が違っているので、全く埒外ということになる。

◯近世風俗研究会で活字化してくれたので、

多くの研究者が、この江戸方角分を使えるようになった。

これは有り難いが、惜しいことに寫樂については三敏先生の蛇足と云える。

1818瀬川富三郎/江戸方角分_らっかん+落款+出典_930項目

1818瀬川富三郎/江戸方角分_930項目 

1818瀬川富三郎/江戸方角分_930項目 *色々と面白い名前が出てくる

1818瀬川冨三郎/江戸方角分_五十音

1818瀬川冨三郎/江戸方角分_漢字コード順 ほぼ漢字音の順序

何か御存知の方は御教示ねがいます。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator

浮世絵・酒井好古堂  [http://www.ukiyo-e.co.jp] [浮世絵学]文化藝術懇話会    浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14

電話03-3591-4678 



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