浮世絵学04/日本の古文書 1949(昭和24)相田二郎(1897 – 1945)/日本の古文書 上下、岩波書店
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浮世絵学04/日本の古文書 1949(昭和24)相田二郎(1897 – 1945)/日本の古文書 上下、岩波書店

1982-04-29現在(2022-10-16更新)

浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人)

*学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 

日本最古の浮世絵専門店

1803葵衛(齋藤秋圃)/葵氏艶譜


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G浮世絵学00 御案内 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)  Guide

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R浮世絵学00/複製・復刻 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) Copy and Handmade reproduction 

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V浮世絵学 ミニ動画     Mini-film, about 5 minutes 

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*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit-comments.php

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,213項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

2022 SAKAI, gankow   酒井雁高

 

2018 SAKAI gankow

 

2020 SAKAI kunio

 

 
*ファックス、使えません。
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〇1949(昭和24)相田二郎(1897 – 1945)/日本の古文書 上下、岩波書店 *あいだ にろう

日本の歴史学者。 東京帝国大学史料編纂官。専門は日本中世史、日本古文書学で、生涯にわたって古文書学の研究・教育につとめた

*古文書は原則として、南北朝以前の写本を指す。江戸期のものは古文書と言わない。

わが国には奈良時代以前からの各種多量の古文書が伝来しており、これを形態的に分類し、機能した道筋を分析し、それらを総合して体系化することを目的とする学問。具体的な目的に従って三つの潮流に分けることができる。

 第一は、自ら文書を作成し使用するために、先例や雛型(ひながた)を研究するという、もっとも実用的な目的をもつ。奈良時代、公式令(くしきりょう)によって初めて文書の種類、名称、書式などが公的に規定され、さらに中世以降多くの有職故実(ゆうそくこじつ)書、書札礼(しょさつれい)がつくられたが、これらは日々必要とされる文書知識を得るためのものであった。今日においても、公的機関から出され、あるいはそこに提出される文書には一定の書式があり、また私的に取り交わされる手紙などでも、発信人と受取人との間の年齢や社会的地位の隔たり、さらに慶弔などの用途に従って、慣習的な決まりがある。それから極端に逸脱すれば非難を被る可能性もあるが、前近代ではさらに厳しい社会的制裁を覚悟しなければならなかった。鎌倉時代後期に、公家徳政(くげとくせい)の一環として公定された弘安礼節(こうあんれいせつ)中の書札礼は、貴族・僧侶(そうりょ)の現任の官位に従って、取り交わされる書状の様式を細密に規定しており、以後の書札礼に大きな影響を与えた。また今日でも中村直勝(なおかつ)のように、古文書学とは真偽鑑定の学であるとする主張もあり(『日本古文書学』上中下)、裁判では刑事・民事を問わず、証拠書類の鑑定が裁判の黒白を決める決め手となることが多い。前近代では土地や所職(しょしき)の領有が文書によってのみ証明される場合が多く、とくに鎌倉幕府の証拠法が証文を第一としたため、文書鑑定の技術が急速に発達した。文書が日々生産され、当面の機能を終えると同時に古文書となる限り、こうした実用の学としての古文書研究がなくなることはありえないだろう。

 第二は、歴史研究の補助手段としての古文書研究である。現今各大学の古文書学講座が史学科に付属しているのに象徴されるように、歴史研究の技術的な手段としての古文書学という認識は、もっとも常識的な観念である。確かに古文書が古記録と並んで歴史資料の二大部分の一つを占める以上、古文書を有効に利用せずして、実証的な歴史研究を行うことはきわめてむずかしい。そのためにはまず、全国各地に散在している古文書を採訪し、可能な限り印刷・上梓(じょうし)されることが望ましいのはいうまでもない。戦前の史料収集は東京大学史料編纂所(へんさんじょ)や一部の官立大学によって独占的に行われていたが、戦後多くの自治体において県市町村史の編纂が一斉に行われ、また

竹内理三(りぞう)が独力で成し遂げた

『奈良遺文』3冊、

『平安遺文』15冊、さらに継続中の

『鎌倉遺文』正編42冊、補遺編4冊

などの刊行によって、単に利用しうる古文書が量的に増大したのみではなく、編纂上必要とされる古文書学の質的向上に大きな寄与を果たした。集積された文書を形態、様式によって分類し、さらに用紙、書風、文章、印章などを類型化し、時代的な変化を追跡することによって、個々の文書が古文書の体系のなかでどこに位置づけられるかを知ることができるし、歴史史料としての文書の価値を高めることが可能となる。

 文書を公文書、私文書に大別し、署判・日次(ひなみ)の位置によって細分化していく様式分類の方法は、戦後まもなく完結した相田(あいだ)二郎『日本の古文書』上下2冊によって極点にまで達した観があるが、そのうえにたって歴史学上の大きな研究成果が達成された。たとえば、現在中世政治史研究に大きな影響を与えている佐藤進一の幕府権力の二元性論は、初期の室町幕府が武士に与えた公的な命令文書を、下文(くだしぶみ)と下知(げち)状の2種に分類し、前者は将軍足利尊氏(あしかがたかうじ)が恩賞や守護職(しゅごしき)の任命に用いたものであり、後者は弟直義(ただよし)が相続の承認や裁判の判決文書に用いたものであるという事実を確定した。そしてそこから、尊氏のもつ主従制的支配権、直義のもつ統治権的支配権を論証したことから出発したものであった。

 もちろん歴史学と古文書学の関係が、後者の一方的奉仕によって成り立っているはずはない。新しい歴史学上の成果や仮説を導入することによって、古文書研究にも新たな進歩が生まれるのは当然である。たとえば、従来代表的な偽文書(ぎもんじょ)として取り扱われてきた、供御人(くごにん)とよばれる商工業者あての特権賦与文書、蔵人所牒(くろうどどころちょう)や下文類のうち、かなりの部分が網野善彦(あみのよしひこ)によって正当な文書として復権されたが、それは単に、収集、分類、比較といった古文書学的方法によって得られた成果ではなく、天皇がもつ海陸の交通権や山野の支配権を通じて、天皇・供御人両者の結び付きを考えたところに出発点を置いていることは確かである。現在では文書をできる限り動的にとらえ、作成される段階から、実際に機能し、保有され、伝来する各プロセスをそれぞれ追跡するという方法がようやく定着しつつあるが、そうなればなるほど、歴史学・古文書学相互の依存関係は深まらざるをえないだろう。

 第三の方向は、古文書学を実用や歴史研究の手段から切り放し、独自の学問領域として確立していこうとする立場である。その主張者である佐藤進一によれば、その独自領域とは、機能を軸にして各時代の文書体系と、その史的展開を明らかにして、人間の意志伝達手段の一つである文書の歴史それ自身を究明しようとするものである。ごく最近に至って、音声による伝達形式のもつ意味を考えようとする傾向が現れ始めた。それらを含めて、実際の研究視点や方法において第二の立場とそれほど異なるものではないにしても、独自の学問領域の模索という自覚が、古文書学をつねに脱皮させ進歩させていくための原動力となることは十分期待できよう。

[笠松宏至]

伊木 壽一(1883 – 1970) *いぎ ひさいち

〇1930伊木 壽一/日本古文書学、雄山閣 

日本の歴史学者。専門は日本古文書学。文学博士。

私(酒井雁高)は、伊木先生のお弟子、高橋正彦先生から、古文書学を教えて戴いた。

 

何か御気付きの点があれば、御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator 浮世絵鑑定家

1982-04-29現在(2021-03-03) 浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

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酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人) *学芸員 *浮世絵鑑定家  Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

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