浮世絵学04/1586グワルチェリ(1560-1636)/日本遣欧使者記[1933木下杢太郎(訳)グワルチェリ/日本遣欧使者記]、岩波書店 http://www.ukiyo-e.co.jp/42038
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1982-04-29現在(2022-10-02更新)

浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人)

*学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 

日本最古の浮世絵専門店

1803葵衛(齋藤秋圃)/葵氏艶譜


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G浮世絵学00 御案内 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)  Guide

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R浮世絵学00/複製・復刻 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) Copy and Handmade reproduction 

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V浮世絵学 ミニ動画     Mini-film, about 5 minutes 

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*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit-comments.php

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,211項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

2022 SAKAI, gankow   酒井雁高

 

2018 SAKAI gankow

 

2020 SAKAI kunio

 

 
*ファックス、使えません。
 
 
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キリシタン関係(活字本)

1586グワルチェリ(1560-1636)/日本遣欧使者記[1933木下杢太郎(訳)グワルチェリ/日本遣欧使者記]、岩波書店  http://www.ukiyo-e.co.jp/42038

1590デ・サンデ/天正遣欧使節記[1969泉井久之助ほか(訳)デ・サンデ天正遣欧使節記、新異国叢書5]酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/43794

1915(大正4)新村 出(1876-1967)/南蛮記 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/46336

1929木下杢太郎/えすぱにあ ぽるつがる記  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/42227

 

◯1586グワルチェリ(1560-1636)/Relationi della venvta degli ambascia-tori giaponesi, Roma

[1933木下杢太郎(訳)(1885-1945)/日本遣欧使者記(1586グワルチェリ)、岩波書店 ]http://www.ukiyo-e.co.jp/42038

(雁註)天正遣欧使節 GUALTIERI, Guido/“Relationi della venuta degli ambasciatori giaponesi “ Venetia : 1586  初版はRoma *外国の地名、人名をカタカナにするのは、抑揚、高低、強弱があり、至難の技。

グワルチェリ(1560-1636)(伊)が宣教師・メスキタに質問し、纏めた記録。企画はワリニャニが行ない、インドまで来た。その後は、メスキタが使節の世話をした。遣欧使節は、長崎から、マカオ、マラッカ、ゴア、喜望峰を廻り、ポルトガル、スペイン、イタリア。イタリア人女性の語学援助を得て、杢太郎は翻訳を初めて足掛け八年余に及ぶ少年使節の内容を紹介した。

デ・サンデ 本書から引用

◯1929木下杢太郎/えすぱにあ ぽるつがる記  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/42227

 

1582.02(天正1.01)ヴァリニャーノは九州三侯の少年をヨーロッパへ派遣。

1583ゴア到着。ヴァリニャーノは当地に止まる。ディエゴ・デ・メスキータが使節を指導

1584.08リスボン到着。スペイン国王フェリペ二世が謁見。イタリアへトスカーナ。

1585.03.23法王グレゴリウス13世が引見。法王シスト5世も援助。

*スペイン、ポルトガルを経て、インドでヴァリニャーノに再会。

*マカオで、豊臣秀吉がバテレン禁止令を発した。

1590.07(天正18.06)長崎着。

1591.03(閏01)聚楽第で、秀吉に拝謁。

◯ヴァリニャーノ(1539-1606)

1579(天正7)日本に赴任

1582.02(天正1.01)長崎を離れる直前、日本の少年使節をヨーロッパへ派遣

1590帰国する少年使節に活字印刷機を携えさせた(キリシタン版)

1598(慶長3)-1603(慶長8)三度目の来日

1606.01.20マカオで病没

◯天正遣欧使節 使節の目的、往路、復路を伊太利亜の僧侶らが、詳細に記録。この記録の典拠は何処から得たか。

1586グワルチェリ(1560-1636)/天正遣欧使者記   *デ・サンデの天正遣欧使節記は、4年後に刊行

*1933木下杢太郞(訳)/日本遣欧使者記(1586グワルチェリ)

1590デ・サンデ(1547-1599)/天正遣欧使節記

*1969泉井久之助ほか(訳)/天正遣欧使節記、雄松堂

◯浮世絵学01/外題(キリシタン時代の研究)1977高瀬弘一郎/キリシタン時代の研究、岩波書店 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jjp/42188

*キリスト教という宗教団体が、他国を軍事侵略するなど考えられなかったが、宗教を隠れ蓑に、世界中を侵略していった事実が明らかになった。

目次

尊師カルヂナレ・アッツオリノ台下に上る

ジョアンネス・カルガの日本使者の恙なく其祖國に帰るを送る辞

第一章 日本の國及び其民の風俗の事

第二章 使者たちの羅馬に来れる理由の事

第三章 日本◯◯よりゴア着到までの事

第四章 ポルトガルまでの航海の事

第五章 リスボナ入市の次第、附ポルトガルロ國滞留の事

第六章 イスパニアの旅の事

第七章 伊太利亜着到の事、並にフィオレンツア國通過の事

第七章 羅馬の旅の事、並に歓迎の次第

第八章 ぱつぱシストオ五選挙の後の事ども

第九章 ロレトオ及びボロニヤの旅の事

第十章 フェララに於ける歓迎の事

第十一章 ヱネチアに於ける歓迎の事

第十二章 マントワの國の事

第十三章 ミラノ及びジェノワの國々の事

第十四章 リスボアへの旅と印度へ發向の事

第十五章 彼等が様體並に服装の事

日本おらどるすの爲めに開かれたる枢機員會の事

日本の二王一侯よりぱつぱグレゴリオ十三世に奉れる書翰

・豊後の王ドン・フランシスコより

・有馬の王ドン・プロタジオより

・大村侯ドン・バルトロメオより

帰依のおらしよ

日本おらどるすに對する答辞

聖主シストオ五の日本諸侯に與へたまへる返簡

・豊後の王フランチェスコに

・有馬のドン・プロタジオに

・大村侯ドン・バルトロメオに

(雁註)日本銀行の消印がある。誰も読まなかったのだろう。

.

1586GUALTIELRI/RELATIONI DELLA VENVTA DEGLI AMBRASCIATORI GIAPONESI …, Roma

*イエズス会は、宗教団体を隠れ蓑にした武力軍隊であった。秀吉に対抗して、フィリピンのスペイン艦隊が、キリシタン大名を中心に、九州、四国を征服することを企んでいた。

ガスパール・コレリョ(1530-1590) は多くの日本人を奴隷として売買していた。コレリョは、秀吉に対して、日本人が売るから買ったと弁明していた。博多のフスタ軍船の下に、鎖に繋がれた多くの日本人がいた。ポルトガル人司教らは、日本人を奴隷として海外へ売っていた。コレリョは、その奴隷船を博多で秀吉に見せた。

1587(天正15)秀吉は、すぐバテレン禁止令を発令した。

ヴァリニャーノ、オルガンティノによると、コレリョの挑発的な行為が禁止令に繋がった。

1590ヴァリニャーノは、コレリョが準備した武器・弾薬を総て売り払い、日本で処分するのが不適当な大砲はマカオに送った。

◯1977高瀬弘一郎/キリシタン時代の研究、岩波書店

*キリシタン宣教師の軍事征服

*ヴァチカン文書で、キリスト教が布教を尖兵として、他国を植民地、奴隷化する手段を取っていた。現在、都合が悪いので、非公開である。

何か御気付きの点があれば御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 浮世絵・酒井好古堂主人 学芸員 curator

浮世絵・酒井好古堂 浮世絵鑑定家 [浮世絵学] 検索 http://www.ukiyo-e.co.jp SAKAI_gankow,  curator,  professional adviser of ukiyo-e 文化藝術懇話会

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14 電話03-3591-4678 



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